写真をアメリカの大学で学び、渡米してからの夢であった報道写真家になるためためにシカゴに移りフリーランスフォトグラファーとして活動を始めました。 しかし外国人であるということと(ビザなどの面 )、ちゃんとした報道写真の勉強と経験がなかった身に現実は厳しいものでした。 芸術学部の写 真科で学んだ事は「絵」を作るうえでは役にたっても、相手にものを伝えることや報道の基本理論ということとは正反対のことだったのです。 そして実際の現場から学んだ事は、「写 真は確かに言葉を超えた媒体ではあるが、それで物事を変えることはできない」ということでした。

芸術写真には「ドキュメンタリーフォトグラフィー」という分野があります。 主な写 真家の名を挙げると、Walker Evans, Garry Winogrand, Lee Friedlander, Bill Burke, Robert Frank, Josef Koudelka, Mary Ellen Mark, Sebastiao Salgado などとなりますが、彼(女)らは私たちが新聞や雑誌などで目にする"Photojournalists" とは一線を画す存在になります。 その境界線とは写真のなかに「私的」な物が含まれてあったり、「目的のある記録」であったり、対象に向かい合う時間が報道写 真よりも長かったりします。 これらの写真を目にし、それぞれの写真家のリサーチをしていくうえで、自分が撮りたい写 真はこれだ、と確信しました。

1999年の1月よりノース・テキサス大学の大学院で再び学生に戻った自分は、題材の選択の自由に嬉々とし、「ロマ(ジプシー)」の取材を最終目的とし、地元のフラメンコダンサーを撮り始めました。 たしかに自分の好きな題で納得のいく作品が撮れましたが、いくら良い写 真が撮れてもなかなかそのなかから「自分」や「私的」なものが染じみ出てこないのです。

そして今まで定期的に撮っていた自分の内面を出すためのプロジェクト(その殆どは「コンストラクテド・フォト」でした)のひとつに材料にロウを使うことを思いついたのです。 いままで撮りためた日本でのスナップショットの上からロウを塗ったものを作品にしました。 ロウを使うことによって、写 真の見せたいところと鑑賞者とのあいだに「壁」を作りたいところを自由にコントロールできるようになりました。 そしてその「壁」は自分と他人とを隔てる絶対的な境界線でもあり、「思い出」をさえぎる記憶の曖昧さ、をも表わしています。 (2000年 秋)



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